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借金があっても事業承継-木村社長物語
写真:右 木村康夫様(仮名) 左:弊社会長 洲山
経営難に悩み「倒産」「自己破産」しかないと思い詰めていた木村康夫様(仮名:60歳)。
喜望大地・洲山とともに事業再生を成功させた経緯についてうかがいました。
1.「倒産」「自己破産」もせず、みごとに事業再生を果たしました
2.本業以外の事業で悪化
3.事業再生が可能だった理由
4.再生へ向けて銀行と一緒に交渉
5.新店舗が現実のものに
6.息子夫婦に迷惑をかけないという一心で
「倒産」「自己破産」もせず、みごとに事業再生を果たしました
― 会社のことをお聞かせください。
文化教室事業とそれに関連する小売業を行っています。創業して100年、設立60年になります。平成23年の4月に代表に就任しました。現在の事業になってからわたしで3代目となります。
― 喜望大地に相談された理由をお聞かせください。
はじめて洲山先生に相談したのは平成22年12月10日です。洲山先生の著書を見て喜望大地のオフィスに電話をしました。
以前から会社の資金繰りが厳しくなっていましたが、いよいよ行き詰ってしまいました。そのとき手元にあった現金はわずか200万円、年明けに社員の給与さえ払えるかどうかわからない状況です。
洲山先生に相談して、いちばんいい方法で会社を倒産し、わたくしは自己破産をして楽になりたいと思っていました。とにかく早く会社を整理することしか頭にありませんでした。
― それでは、会社を整理し、自己破産することができたのですね?
いいえ。洲山先生に相談したおかげで、最終的には倒産も自己破産もしなくて済みました。洲山先生の指導のもと、1年後には事業再生を果たすことができました。それどころか、念願だった新店舗も完成、みごとに再スタートをきることができたんです。
本業以外の事業で悪化
― 相談される前の経営状況をお聞かせください。

木村社長
「会社を整理するしかないと」
10年ほど前から会社の業績が伸び悩んでいました。平成22年になると目に見えて会社の資金繰りが苦しくなってきて、どうすれば会社を建て直すことができるのか、銀行との折衝はどうすればいいのか悩む日々が続きました。
経営難を招いた理由は事業の手を広げすぎていたことです。家具販売など、本業とは関係のない事業を展開していましたが、業績は悪く本業の収益を圧迫していました。
また、投機目的で購入していた土地が大きな負担となっていました。銀行からの借入金は年々増えていくばかり。年商が約3億2千万円の会社で、借入金はその倍の6億円ほどにもふくれあがっていました。
思うような手も打てず、夜になると悩みで眠れなくなりました。当時はほとんどうつの状態に近かったと自覚しています。会社全体の士気も下がっていました。
その年の11月、義理の父親である先代の社長が倒れてしまい、業務を続けることが困難になりました。会社の状況を考えると、わたしには跡を継いで経営していく自信がありませんでした。会社を整理するしか方法がないのかと悩みました。
― どのような対応をしたのでしょうか?
地元の弁護士協会で弁護士事務所を紹介してもらいました。倒産、自己破産をするにはどうすればいいか相談するためです。傷口を広げてしまう前に、早く会社を整理するほうがいいのではと考えました。悩みから解放されたい、早く楽になりたいと思っていたのも確かです。
5件ほど電話してみましたが、けっきょく相談することはできませんでした。相談を受けるには会社名を伝えないといけないと言われたからです。地元ということもありうかつに会社名を名乗ることができなかった。まだ先代が代表をつとめている会社です。先代が病気のときに相談もせずに決めてしまうのがためらわれました。
会社を早く整理したい。しかし、それもできない。完全に思考停止してしまいました。
そんなとき、洲山先生の著書を思い出し、いちど相談してみようと考えました。
― 相談されたときの詳しい状況を教えてください
その年の12月10日に喜望大地のオフィスに電話をしました。会社の実情を説明した後、決算資料を送りました。その他必要な書類はFAXで送って。洲山先生が対応してくれると聞いて嬉しかったですね。著者本人が対応してくれるという安心感がありました。
12月22日に大阪にあるオフィスに伺いました。大阪までの3時間の道中は、やっとこれで清算できるという思いです。いくら企業再建のプロでも、うちの経営状態を立て直すのは無理だと決めつけていました。いい弁護士でも紹介してもらって、倒産、自己破産。それで家族を守れるんだと。そのときは家族のことしか頭にありませんでした。
事務所に入ると、先生と2人のスタッフの方が待っていました。会社を倒産したい、自己破産したいと伝えましたところ、洲山先生が「社長、倒産も自己破産もする必要がないですよ」と、さらっと言ったんです。
そのひと言を聞いたとき、体に重くとどこおっていたものが、すーっと抜けていく気がしました。
事業再生が可能だった理由
― 洲山会長にお聞きします。事業再生が可能だと思われた理由は?

洲山
「新店舗建設を提案しました」
(洲山) 木村社長の会社は、年商が3億2千万円で借入金が6億円ほど。倍の借金ですから、会社として成り立っているのが不思議なくらいでした。しかし、膨大な不動産資産があり評価額を見てみると借金に見合っていました。かなりまとまった土地もあり、時間をかけたら売れると考えました。これならば大丈夫だろうと。
それに「選択と集中」。本業と関係ない家具販売事業は営業委託、もしくは営業譲渡して身軽にすればいい。問題は、コアビジネスがきちんと成り立つかどうかに絞られます。コアビジネスである文化教室事業は地域の文化発展にも寄与するし、収益の面でもいいということで集中してやりましょうと。現地を見ないと判断できないこともありますので、すぐに現地に行く段取りをとりました。
12月26日に現地に入り、驚きました。本業である文化教室の建物があまりにボロボロのところで(笑)。古いスーパーの跡地だったんですが、これで1,000人を超える生徒さんが集まるのかと逆に感心しましたね。同時に、この建物のせいでお客様を取りこぼしているのではないか、環境が整えばもっとお客様が増えるのではないかと思いました。
それで「社長、新しく店をつくりませんか?」と提案しました。
― その提案を聞いてどう思いましたか?
びっくりしました。新しい店というのはわたしの長年の夢でした。それをずばりと言い当てられた感じです。でも現状は夢もへったくれもない、会社を再生することで頭がいっぱいです。店を新しくつくるなんて考えてもいませんでした。とにかく手元には200万円しかないわけですから。
しかし、洲山先生は本気でした。立地条件がいいということで、駐車場として遊ばせていた680坪の土地を候補地にして、つぎの問題は店舗の建設資金です。
文化教室の運営会社を通じて見積りをとったところ、標準的な大きさのものでも建設費で1億円、設備資金4千万円と出ました。合わせて1億4千万円。とても無理だと思いました。しかし、「新しい店がつくれるかもしれない」――気持ちが高揚したことも確かです。
再生へ向けて銀行と一緒に交渉
― 銀行との交渉はどのように?

『あなたの会社をお救いします』
洲山 著
平成23年1月、年が明けてすぐに洲山先生と取引銀行をまわりました。なかにはいい顔をしてくれないところもありました。「いったい誰を連れてきたのか?」というのが本音でしょう。
その日は改めて経営変革計画書を提出する約束をして帰ってきました。洲山先生との打合せで、まずは経営変革計画書を作成し、すべての銀行に会社の実情を隠さず明らかにする、ディスクローズすることにしました。徹底的に実行に移せる経営変革計画書にして銀行と交渉していこうということです。
洲山先生の著書に書かれているのは、会社と銀行というのは対等の関係で、会社を立て直すときこそ、借金を返すより事業を軌道に乗せることを優先させなさいというものです。その優先順位を間違えてはいけないと。
その後、経営変革計画書の作成に着手しました。過去にわたしも書いたことがありますので、それを手直しして出すのかと思っていたのですが、洲山先生のほうですべて準備してもらえるということで安心しました。
2月の初め、経営変革計画書を持ってすべての取引銀行を訪問しました。
― 銀行の反応はどのようなものでしたか?
経営変革計画書には、再建スキームとして「会社分割」が盛り込まれていました。コアビジネスである文化教室事業と、家具販売事業とを切り離し、会社内容をわかりやすくするためです。抵抗が強いのではないかと心配しましたが、洲山先生の説明に銀行のほうも耳を傾けて聞いていました。
しかし、1億4千万円の新店舗建設・設備資金を見て、銀行の人も「うん?」という顔をしました。そこで洲山先生が「これ、融資してもらえませんか?」と言ったんです。こういう事業でしっかりと利益を上げることができるから融資をと。びっくりしました。返済を待ってくれと言ってるところに、さらに金を貸してくれということですから。わたしなんかぜったいに言えませんよ(笑)。
しかし、どの銀行にも取り合ってもらえませんでした。そのときの銀行の反応をもとに、つぎの作戦を立てることにしました。
新店舗が現実のものに
― つぎに、どのような行動をとったのですか?
新店舗の建設費だけでも下げることができないかと考えました。洲山先生の案では毎月40万円、20年返済というものでした。わたしは建設費の1億円を半分の5、6千万円くらいに抑えられないかと考えました。これなら毎月の返済は20万円台です。わたしの給料をゼロにしてでもなんとかなるのではないかと。
知り合いを通じて地元の建設会社をあたり、とにかく6千万円でつくってくれるところを必死になって探しました。そんなとき、話を聞いてくれる建設会社と出会いました。予算は6千万円しかない。けれど新しい店はわたしの夢。その夢を叶えたいと真剣にお願いしたところ、承諾してもらいました。奇跡が起こったと思いました。
すぐに洲山先生に電話を入れると、「すごい! 社長、いけるよ!」と太鼓判を押してくれました。すぐにその数字を銀行にぶつけようということで、2回目の経営変革計画書を作成し、4月に銀行と交渉しました。
― 交渉はうまくいきましたか?
無事に新築工事の了解にこぎつけることができました。家具販売事業はM&Aで売却し、持っている資産も売れるところは売っていく。あとは事業の中で資金を捻出していくと訴えました。それで新店舗建設・設備資金のほぼすべてを借入なしで推進する話です。
また、2,500万円の定期預金も解約し、建設資金に回すことができました。
その後、家具事業の売却先が見つかる、不良在庫をまとめて購入してくれるところが見つかるなど、とんとん拍子に話がすすんでいきました。だんだんと新店舗建設が現実に近づいていくのを実感しました。
― いよいよ新店舗の建設ですね。
はい。建設会社と契約するとき、ほんとうに大丈夫だろうかと洲山先生に確認しました。洲山先生は「いいですよ、大丈夫です」と。
契約を済ませた後、ようやく家族に今までの経緯を打ち明けることができました。早く打ち明けたいと思いながら、やはり不安のほうが大きかったんでしょう。
それから後は、地鎮祭から新店舗の完成まであっという間でした。新店舗は1階をオフィスと小売店舗、2階を文化教室にしました。新築なので当然ですが、以前の教室とは比べ物にならないくらいきれいですから、生徒さんにも親御さんにも喜んでもらえていると思います。
完成した新店舗。1階に小売店舗(左下)、2階に文化教室(右下)
息子夫婦に迷惑をかけないという一心で
― 洲山会長、今回の事業再生を振り返ってみていかがでしょうか?
(洲山) これまで多くの会社を再建してきましたが、これほど劇的なビフォー・アフターはありませんね。事業再生する会社で新しく店を建てることはそうはありません。設備投資なんかもってのほかというのが一般的です。今回は立地条件のいい土地を所有されていましたから可能でした。
また、木村社長の再生への意欲も大きかった。はじめて事務所に訪れたときはほんとうに暗い顔をしてましたから。それが新店舗の話が出てから、驚くほど積極的になられました。やはり事業再生には、経営者の「なんとかしたい!」という気持ちが必要なのです。
相談に来られたときは、会社が倒産ということになると息子夫婦に迷惑がかかるのではと心配されていました。そして娘さんの結婚の話もすすんでいるが、会社倒産して破談の心配をしていると。だからわたし言いました。きちんと会社の社長として結婚式に出られるようにしますからって(笑)
― そのようなエピソードがあったんですね。
はい。洲山先生の言葉はいまでもしっかりと覚えています。そしてみごとに現実になりました。洲山先生に相談してよかった。予想すらできなかった再スタートを切ることができました。
再スタートということでは、洲山先生からの提案で、懸案のひとつでもあった事業承継もお願いし、わたしがオーナー兼代表として就任しました。事業承継は税務の知識だけではなく、金融、不動産取引など、コンサルタントとしての総合力がなければ難しかったと思います。
― 木村社長、悩みを抱えている経営者の方にひとことお願いいたします。
わたしの場合はレアケースかもしれません。しかし、悩んでいる経営者の方はどうしても悪い方へ考えてしまいがちになると思います。わたし自身、洲山先生とともに行動するなかで励まされ勇気づけられることで前向きな気持ちになれました。
洲山先生はけっしてできないことは言いません。ひとりで悩まずに、まずは洲山先生のところに相談してみてはいかがでしょうか。きっと前向きな解決方法がみつかるはずです。
木村様、本日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。
※ 取材日時 2012年1月
※ 取材制作:カスタマワイズ